てぃーんず ぶるーす(原田真二) 1977年(昭和52年)

今回ご紹介する1977年(昭和52年)のヒット曲は、原田真二さんの「てぃーんず ぶるーす」です。
「てぃーんず ぶるーす(TEENS’ BLUES)」は、1977年(昭和52年)10月25日にリリースされた、原田真二さんのデビュー・シングルです。作詞: 松本隆さん、作曲: 原田真二さん、編曲: 鈴木茂さん・瀬尾一三さんとなっています。

原田真二さんの「てぃーんず ぶるーす」は、原田真二さんのヒット曲の中では一番好きでしたね~
「駅に~、走る道は雨で~、川のように僕のズックは~、びしょ濡れ~♪」ですね。

原田真二さんの「てぃーんず ぶるーす」ですが、オリコンシングルチャート最高6位、売上枚数:26.4万枚のヒットとなりました。
原田真二さんが高校3年の時に広島市内の平和大通り沿いのベンチで作りためた作品の一つなんだそうです。

原田真二さんって、高校生の頃に大学生になったらデビューが決まってたんだよね。高校生の頃から凄い才能の持ち主だったんだろうね。

「てぃーんず ぶるーす」ですが、元々は、原田真二さんが書いた「君の世代へ」というタイトルの原曲があったそうなんですよ。ご本人もそれでデビューしたいという希望があったそうです。

自分で作った曲でデビューしたいって思うのは当然だろうね。

その一方で、プロデューサー吉田拓郎さんも原田真二さんのデビュー用に曲を用意していたため、意見が合わず選択に難航したんだそうです。

あ~、こうなってくると難しいですよね。プロの世界で大成功している人の意見ですから…。

「原田真二さんの魅力は1曲では伝えきれない」「従来のデビューの形ではなく、何曲か連続で出していった方がいいんじゃないか」という、当時の所属事務所のアイデアにより、1ヶ月ごとに続けて3枚のシングルを発売するという、異例のトリプルデビューが決まったそうです。

あ~、なるほど、だから当時、立て続けに新曲が出てたんだね。

話を「てぃーんず ぶるーす」に戻しますと、元々の原田真二さんのオリジナルの詞ではストレートで重すぎるということで、作詞家として松本隆さんが起用されることになります。

なるほど、詞を変えてきたったことなんだ。

ただ、当時、原田真二さんはできあがってきた歌詞が軟弱に感じてショックを受けたそうですよ。

「てぃーんず ぶるーす(TEENS’ BLUES)」の歌詞は、個人的には好きなんだけどな…

原田真二さんが作った原曲「君の世代へ」は、歌詞を変え、アレンジを変え「てぃーんず ぶるーす(TEENS’ BLUES)」に変化してヒットした訳ですが、原田真二さんにとっては、曲自体をもっとハードに仕上げたかったようで、かなりギャップがあったようですよ。

まぁ、曲の感じとしては軽いタッチの当時で言うニューミュージックみたいな雰囲気だし、ふわふわヘアでピアノを弾いて歌っている原田真二さんの姿は、アイドル路線と言えなくもないよね。

原田真二さんからすれば、大人がよってたかって自分の曲を作り変えていくというような思いがあったようです。1978年(昭和53年)の日本武道館公演では、レコードバージョンとは大きくイメージを変えた、ハードロック調の原曲の思いに近いアレンジに変更してこの「てぃーんず ぶるーす」演奏したそうです。

そういう意味では、自分を殺して社会で生きていく新社会人も同じような感じなのかもしれないね。

1977年(昭和52年)のヒット曲「てぃーんずぶるーす」原田真二

1977年(昭和52年)ヒット曲

順位曲名歌手名売上枚数
1位渚のシンドバッドピンク・レディー94.5万
2位青春時代森田公一とトップギャラン86.5万
3位ウォンテッドピンク・レディー84.5万
4位勝手にしやがれ沢田研二74.7万
5位昔の名前で出ています小林旭70.8万
6位雨やどりさだまさし66.9万
7位カルメン’77ピンク・レディー65.9万
8位S.O.Sピンク・レディー64.7万
9位失恋レストラン清水健太郎62.8万
10位フィーリングハイ・ファイ・セット56.6万