今回ご紹介する1977年(昭和52年)のヒット曲は、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」です。
「勝手にしやがれ」は、1977年(昭和52年)5月21日に発売された沢田研二さんの19枚目のシングルです。作詞:阿久悠さん、作曲:大野克夫さん、編曲:船山基紀さんとなっています。
沢田研二さんの「勝手にしやがれ」流行りましたよね!
「壁ぎわに寝がえりう~って、背中で~、きいている~、やっぱり~、お前は~、出て行くんだな~♪」てね!
「勝手にしやがれ」ですが、オリコン週間チャートでは、通算5週にわたって第1位を獲得し、年間チャートでは4位となっています。
また、売上は89万枚で、1975年(昭和50年)リリースの「時の過ぎゆくままに」に次ぐ、沢田研二さんの代表曲のひとつとも言えます。
そう言えば、沢田研二さんは当時よく出演していた「ザ・ベストテン」の中で「1位」じゃなくて「1等賞」って言葉を使っていましたよね。沢田研二さん=「1等賞」みたいなイメージが残ってますよ。
そうでしたね。「1等賞」 と言えば「ザ・ベストテン」でのジュリーの決まり文句でしたね。
さて、「勝手にしやがれ」のタイトルについてですが、これは1960年に公開されたフランス映画「勝手にしやがれ」に由来するのだそうです。
映画「勝手にしやがれ(À bout de souffle)」は、1960年(昭和35年)のフランス映画で、監督・脚本はジャン=リュック・ゴダール、出演はジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグなどとなっています。ヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品とされています。
映画「勝手にしやがれ」は知っているよ。ジャン=ポール・ベルモンドがカッコいいんだよね~ ところで、ヌーヴェルヴァーグって何?
色々な解釈があるようなんですが、ヌーヴェルヴァーグというのは、助監督等の下積み経験なしにデビューした若い監督たちによる作品を指すみたいです。
へ~、固定概念に染まっていない、やわらかい頭とやわらかい発想で作られた映画ってことなんだね。
さて、曲の方の「勝手にしやがれ」に話を戻しますと、テレビ番組で歌う際は、沢田研二さんは、クリーム色のスリーピース・スーツを着用していました。そして、歌いながら同じ色のソフト帽を投げるパフォーマンスが、子供たちの間で大流行するなど大きな話題を呼んだ曲でもあります。
※画像は、サワダな一日様からお借りしました。
沢田研二さんの白(クリーム色)のスリーピース姿、今でも覚えているよ~
そして、ハットを投げるところが、超かっこよかった!俺も野球帽を投げて真似してたもんねw
野球帽だと、沢田研二さんみたいに上手く飛ばないんですよね。
そうそう!途中で落下しちゃうんだよね。
余談になりますが、1978年(昭和53年)発売の山口百恵さんの「プレイバックPart2」(作詞:阿木燿子さん、作曲:宇崎竜童さん)は、この曲のアンサーソングと言われているんだそうですよ。
へ~、両方とも知ってるけど、どのあたりがアンサーソングなんだろ?
どっちも出て行く歌詞になっているし…よく分からないな…
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1977年(昭和52年)出来事
- エルヴィス・プレスリーが死去(42歳)
- キャンディーズが解散宣言(「普通の女の子にもどりたい」)
- 王貞治さんが通算756号のホームランを打ち世界記録を樹立、第1回国民栄誉賞を受賞
- 樋口久子さんが全米女子プロゴルフ選手権で日本人初優勝
- 映画「ロッキー」が大流行
- スナックのカラオケが大ブーム
1977年(昭和52年)テレビドラマ・アニメ
- 赤い激流
- 赤い絆
- ヤッターマン
- あらいぐまラスカル
- 一発貫太くん
1977年(昭和52年)ヒット曲ランキング
- 渚のシンドバッド(ピンク・レディー)
- 青春時代 (森田公一とトップギャラン)
- ウォンテッド (ピンク・レディー)
- 勝手にしやがれ (沢田研二)
- 昔の名前で出ています (小林旭)
- 雨やどり (さだまさし)
- カルメン’77 (ピンク・レディー)
- S.O.S (ピンク・レディー)
- 失恋レストラン (清水健太郎)
- フィーリング (ハイ・ファイ・セット)
- 北の宿から (都はるみ)
- 帰らない (清水健太郎)
- 星の砂 (小柳ルミ子)
- ペッパー警部 (ピンク・レディー)
- あずさ2号 (狩人)
- 津軽海峡冬景色 (石川さゆり)
- スカイ・ハイ (ジグソー)
- 愛のメモリー (松崎しげる)
- 赤い衝撃 (山口百恵)
- イミテイション・ゴールド( 山口百恵)