今回ご紹介する1973年(昭和48年)のヒット曲は、沢田研二さんの「危険なふたり」です。
「危険なふたり」は、1973年(昭和48年)4月21日に発売された沢田研二さんの6枚目のシングルです。作詞:安井かずみさん、作曲:加瀬邦彦さん、編曲:東海林修さんとなっています。
「今日まで二人は恋という名の~、旅をしていたと言えるあなたは~、年上の女美し過ぎる~、あ~、あ~それでも~愛しているのに~♪」だよね。
結構、今回は長めに歌いましたね~
沢田研二さんの曲の中では、この「危険なふたり」が一番好きなんですよ~
「危険なふたり」ですけど、沢田研二さんのソロ曲としては初のオリコン1位を獲得した曲になります。
シングル6曲目で初の1位って、なんか意外だよね。
沢田研二さんはタイガースの解散後、1971年(昭和46年)にソロデビューされているんですが、この「危険なふたり」まではヒットに恵まれなかったようですね。しかし1973年にこの「危険なふたり」が大ヒットとなり、第4回日本歌謡大賞を受賞されています。ここで、ソロとしての人気を確固たるものとしたんですね。
なるほど~、ここから大人気になってくるってわけね。
ちなみに、「危険なふたり」発売当時のレコードの値段は500円だったそうですよ。
まぁ、当時の500円は結構価値があったと思うよ。小学校の遠足のお小遣いが100円とか200円とか言う時代だったからね。
沢田研二さんは、1948年(昭和23年)生まれ、京都府京都市育ちです。お生まれは鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)なんだそうです。ニックネームは「ジュリー」で有名ですね。
なんで「ジュリー」なの?
沢田研二さんご本人が「ジュリー・アンドリュース」という女優さんのファンだったので、「ジュリー」にしたそうですよ。
「ジュリー」って女優さんの名前なんだね。
「ジュリー」って可愛らしいニックネームですけど、中学時代は「ケンカのサワケン」と呼ばれるぐらいワルだったそうですよ。
まぁ、若い頃はやんちゃやってた人が多いからね~
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1973年(昭和48年)出来事
- 石油ショック
- 山口百恵、桜田淳子、浅田美代子、あべ静江、石川さゆり、フィンガー5、キャンディーズらがデビュー
- 郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎が「新・御三家」と呼ばれる
- 関門橋が開通
- 中央線の快速電車にシルバーシートを設置
- トイレット・ペーパー、洗剤などの買いだめ騒動
- ノストラダムスの大予言が出版される