赤い風船(浅田美代子) 1973年(昭和48年)

今回ご紹介する1973年(昭和48年)のヒット曲は、浅田美代子さんの「赤い風船」です。
「赤い風船」は、1973年(昭和48年)4月21日に発売された浅田美代子さんのデビューシングルで、作詞:安井かずみさん、作曲・編曲:筒美京平さんとなっています。

この曲もかなり流行りましたよね~
正直、浅田美代子さんというと「赤い風船」の印象しかないんだけど、お世辞にもお歌はあんまり上手じゃなかったと記憶していますが、とにかく可愛らしかったよね。
「あの娘はどこ~の娘、こんな夕暮れ~、し~っかり握りしめた赤い風船よ♪」
最近では、すっかり役者さんとして有名ですよね~

「赤い風船」ですが、浅田美代子さんがレギュラー出演していたドラマ「時間ですよ」の中で歌われた楽曲です。
オリコンでは2位で初登場し、翌週に1位を獲得していますが、これは1980年(昭和55年)12月に近藤真彦さんが「スニーカーぶる〜す」で、デビュー曲初登場1位を記録するまでデビュー曲の初登場最高記録だったんだそうです。
ちなみに、累計売上は80万枚以上となっています。

デビューシングルが1位って、そんなに珍しいとは今では思わないんだけど、当時はかなりレアケースだったってことなんだね。

浅田美代子さんは、高校2年の1972年(昭和47年)にスカウトされたそうなんですが、当初ご両親は芸能界入りに反対されていたそうです。そこでプロダクション側がドラマ「時間ですよ」の新人オーディションへの参加を提案、応募したところ約25,000名の中から選ばれ、デビューとなったそうですよ。

出来レースだったのかもしれないけれど、25,000人の応募の中から選ばれるって、やっぱりキラリと光る何かを持ってたんでしょうね~

その後、浅田美代子さんは、1973年(昭和48年)に「時間ですよ」第3シリーズのお手伝い役でデビューとなった訳です。
そして、「赤い風船」で歌手デビューすると1973年(昭和48年)の第15回日本レコード大賞で新人賞を受賞しています。
その後も「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ・昭和元年」などの人気ドラマに出演しています。

浅田美代子さんは、歌手というより俳優として有名になった感じですかね。

浅田美代子さんは、1956年生まれ、東京都港区の出身です。

港区の出身ということは実家はお金持ちだったのかな?

浅田美代子さんのご実家は自動車修理工場を2軒ほど経営されていたようで、幼いころから裕福だったそうですよ。

東京女学館中・高みたいなので、そうですよね~



1973年(昭和48年)のヒット曲「赤い風船」浅田美代子

1973年 邦楽ヒット曲 ランキング

順位曲名歌手名売上枚数
1位女のみち宮史郎とぴんからトリオ181.2万
2位女のねがい宮史郎とぴんからトリオ84.0万
3位学生街の喫茶店ガロ76.2万
4位喝采ちあきなおみ62.7万
5位危険なふたり沢田研二61.9万
6位神田川かぐや姫58.0万
7位心の旅チューリップ50.8万
8位恋する夏の日天地真理50.2万
9位若葉のささやき天地真理48.1万
10位赤い風船浅田美代子48.1万