女のみち(ぴんからトリオ) 1972年(昭和47年)

今回ご紹介する1972年(昭和47年)のヒット曲は、ぴんからトリオの「女のみち」です。
「女のみち」は、1972年(昭和47年)5月10日に発売されたぴんからトリオのデビューシングルで、作詞は宮史郎さん、作曲は並木ひろしさんとなっています。

この曲は流行ったよね~!
「わたしがぁ~、ささぁげ~た~、そぉ~のひとぉ~に~♪」ってね!
宮史郎さんの声が渋いんだよね~

この「女のみち」ですが、当初、自主制作レコードとして300枚をプレスして、有線放送で流したところ大きな反響があったそうです。

えっ!最初はたった300枚の自主制作だったの?

その後、1972年(昭和47年)に、日本コロムビアからレコード発売が決定すると爆発的なヒット曲となりました。

ちなみに「女のみち」ですが、年間シングル売り上げ枚数2年連続第1位、1972年(昭和47年)・1973年(昭和48年)のオリコン年間シングルチャート第1位となっています。年間シングル売り上げ2年連続1位を記録した唯一の楽曲でもあります。

別々の曲なら分かるけど、同じ曲で年間売上2年連続1位って凄いよね!

日本コロムビア公称ですが、シングル売上400万枚。累計売上340万枚、380万枚とも言われているようです。ちなみに、ぴんからトリオですが、1973年(昭和48年)の第24回NHK紅白歌合戦に出場しています。

最初は300枚の自主制作レコードだったものが、400万枚超って、ほんと凄いよね!

余談ですが、1973年(昭和48年)1月8日~2月5日までのオリコンシングルチャートでは、1位:ぴんからトリオ「女のみち」、2位:ちあきなおみさん「喝采」、3位:天地真理さん「ふたりの日曜日」でトップ3の顔ぶれが全く変わらなかったそうです。

どの歌も好きだけど、その時期は、強力な歌が多かったんだね。
しかし、ぴんからトリオって変わった名前だよね?

1963年(昭和38年)頃に、大阪でキャバレー歌手をしていた並木ひろしさんが、同じキャバレーで歌手をしていた宮史郎さんに「一緒にやらないか」と声を掛け、さらに宮史郎さんが兄の五郎さんを誘って三人集まってコミックバンドを作ったのがトリオの始まりです。

グループ名の由来は「ピンからトリを」なんだそうです。

最初はメンバー3人のコミックバンドだったんだんだね!
そう言えば、昔はギター弾きながら漫才をやる人って結構、テレビでも見てたよね。
玉川カルテットとかかしまし娘とか…

音曲漫才というぐらいですかね。ぴんからトリオも、当時は、吉本興業の所属だったようですよ。

何となくイメージ湧くわ~
しかし、吉本興業って、昔から色んな人をマネジメントしていたんだね。

ぴんからトリオの宮史郎さんは、1943年生まれ、兵庫県加西市広原町の出身です。並木ひろしさんは、1942年生まれ、宮さんと同じく兵庫県の出身です。

1972年(昭和47年)のヒット曲「女のみち」ぴんからトリオ

1972年 邦楽ヒット曲 ランキング

順位曲名歌手名売上枚数
1位女のみち宮史郎とぴんからトリオ138.3万
2位瀬戸の花嫁小柳ルミ子69.5万
3位さよならをするためにビリーバンバン66.7万
4位旅の宿よしだたくろう66.6万
5位悪魔がにくい平田隆夫とセルスターズ65.1万
6位ひとりじゃないの天地真理60.1万
7位京のにわか雨小柳ルミ子56.9万
8位別れの朝ペドロ&カプリシャス55.7万
9位小さな恋天地真理54.7万
10位太陽がくれた季節青い三角定規50.2万