いとしのレイラ(エリック・クラプトン) 1971年(昭和46年)

今回ご紹介する1971年(昭和46年)のヒット曲は、デレク・アンド・ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」です。
「いとしのレイラ(Layla)」は、 1971年(昭和46年)にリリースされたアメリカのロックバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスのアルバム「いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)」のタイトル曲です。作詞・作曲は、エリック・クラプトンとジム・ゴードンとなっています。

「いとしのレイラ(Layla)」めっちゃ好き!

「いとしのレイラ(Layla)」は、ロックの代表的なラブソングであり、エリック・クラプトンの最高傑作と言われるぐらい有名ですね。

リフの「ダリドリドリド~ン♪」を聞けば、だいたいの人が聞いたことがあるってぐらい有名だよね。

この「いとしのレイラ」ですが、エリック・クラプトンが、当時、ビートルズのジョージ・ハリスンの奥さんであったパティ・ボイドのことを想って作った曲って言われています。

確か、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンは親友だったんだよね?
親友の奥さんを好きになって曲まで作ったってこと?

まぁ、そうなりますね。
元々は、1964年3月2日に、パティ・ボイドがビートルズの主演映画「A Hard Day’s Night」の女子学生役としてロケに参加したんですね。そこで、ジョージ・ハリスンがパティ・ボイドに一目惚れをしてしまったと…。当時彼女は別の男性とつきあっていたようですが、数日後に別れて、ジョージと交際を開始したと言われています。

わぉ!まぁ、無名の男性とジョージ・ハリスンを比べちゃうとね~
ビートルズも「Can’t Buy Me Love」で、愛はお金じゃ買えないって歌ってるけど、事実はそうじゃないってことだよね…。
しかし、パティ・ボイドってもてるんだね。

そうなんですよ。パティ・ボイドがジョージ・ハリスンと結婚していた時、彼女に想いを寄せていたミュージシャンは他に3人いたそうです。
・ジョン・レノン(ビートルズ)
・ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)
・エリック・クラプトン(ジョージ・ハリスンの親友)
という錚々たるメンツだったそうです。

す、凄い!超有名人&お金持ちばっかりだね!
日本なら、B’zの稲葉さんとミスチルの桜井さんとスピッツの草野さんに同時に愛されるみたいな感じかな?

あなたの例えが、ちょっと…なんですが。
で、エリック・クラプトンは、ビートルズとして大成功を収め富、名声、可愛い女性=パティ・ボイドまでものにしていた親友のジョージ・ハリスンに強い嫉妬心を抱いていたと言われています。

なるほどね~「自分ばっかり成功しやがって~!」って感じの、いわゆる横恋慕ってやつですかね。でも、男の嫉妬って怖いって言うけどね。

その後、パティ・ボイドの浮気が原因で、ジョージ・ハリスンとの関係は徐々に悪化、1977年に離婚が成立します。この間も、ず~っとエリック・クラプトンは、パティ・ボイドを追いかけていたそうですよ(1974年から同棲していたとも)。

ひとつ間違うとストーカーやな。
で、その後は?

パティ・ボイドが折れる形で、1979年(昭和54年)にエリック・クラプトンと結婚するのですが、クラプトンのアルコール依存の問題などもあり1989年(昭和64年/平成元年)に離婚しています。

略奪婚ってなかなかうまくいかないことが多い感じだよね。

なかなか、ヘビーな恋模様なんですが、このような出来事があったあとも、エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンの友情は壊れることはなかったと言われています。なんか不思議ですよね。

まぁ、ある種の突き抜けた天才同士の関係は、凡人の私たちには分からないんだろうね。でも、確かにパティ・ボイド可愛いよね♪

1971年(昭和46年)のヒット曲「いとしのレイラ」デレク・アンド・ザ・ドミノス/エリック・クラプトン

1971年 邦楽ヒット曲 ランキング

順位曲名歌手名売上枚数
1位わたしの城下町小柳ルミ子110.3万
2位知床旅情加藤登紀子102.8万
3位また逢う日まで尾崎紀世彦92.8万
4位傷だらけの人生鶴田浩二77.9万
5位ナオミの夢ヘドバとダビデ66.6万
6位よこはま・たそがれ五木ひろし60.6万
7位花嫁はしだのりひことクライマックス60.5万
8位雨のバラード湯原昌幸55.5万
9位望郷森進一54.5万
10位さらば恋人堺 正章52.9万