今回ご紹介する1971年(昭和46年)のヒット曲は、上條恒彦さんの「出発の歌」です。
「出発の歌 -失なわれた時を求めて-」は、1971年(昭和46年)12月1日にリリースされた上條恒彦さんの3枚目のシングルです。作詞:及川恒平さん、作曲:小室等さん、編曲:木田高介さん、歌:上條恒彦さん+六文銭、コーラス:シンガース・スリー、ザ・ブレッスン・フォーのみなさんとなっています。
この歌は知ってるけど、歌っていたのは上條恒彦さんと六文銭って言うの?
六文銭って、真田家の旗印?
1971年にヤマハ音楽振興会主催「第二回世界歌謡祭」選考の「第三回合歓ポピュラーフェスティバル」に、小室等さん率いる六文銭と上條恒彦さんは別々にエントリーしていましたが、事情があって、急遽一緒に組んで上條恒彦+六文銭として参加することになったそうです。
あ~、小室等さんがやったたのが六文銭ってバンド(?)なんだ。
グループ名の六文銭は、三途の川の渡し賃とされる六文銭に由来とされているとされていますが、小室等さんご本人は、サマセット・モーム著「月と六ペンス」の「六ペンス」を「六文銭」と訳したとしていたり、また、とある居酒屋の名前からとったとも言っているそうですよ。
つまり、由来も何も、深い理由はないってことなんやね。
「出発の歌」ですが、会場に向かう新幹線の中でアレンジして、会場へ来て初めて音を出したんだそうです。
めっちゃぶっつけ本番やん!
「第三回合歓ポピュラーフェスティバル」には、錚々たる出演者がいて、とてもグランプリになんか取れそうもないと、みな諦めていたそうですが、結果グランプリを取ったんだそうです。
無欲の勝利ってことですね。
続く11月27日に日本武道館で開催された「第二回世界歌謡祭」でもグランプリを受賞しています。
ご本人たちもびっくりだったろうね~
世界歌謡祭でグランプリを受賞したことによる反響は大きく、この「出発の歌」は、シングルレコードとして発売され、累計で70万枚を売り上げました。
また、この年の紅白歌合戦にも、この「出発の歌」で出場しています。
新幹線でアレンジしてぶっつけ本番で披露した曲が大ヒットって凄いよね。
また、1974年に音楽之友社が発行する高等学校の音楽教科書に「出発の歌」が掲載されました。
教科書にも掲載されるなんて、びっくり!
上條 恒彦さんは、1940年生まれ、長野県東筑摩郡朝日村のご出身です。