今回ご紹介する1982年(昭和57年)のヒット曲は、Sugarの「ウエディング・ベル」です。
「ウエディング・ベル」は、1981年(昭和56年)11月21日に発売されたSugarのデビュー・シングルです。作詞・作曲:古田喜昭さん、編曲:平野融さんとなっています。
Sugarの「ウエディング・ベル」は流行りましたよね。印象的だったのは、サビ(?)の「くたばっちまえ! ア~メン♪」というところですね。
女性目線の曲だし、Sugarのみなさんの作詞作曲だと思っていたんですが、そうじゃないんですね。これは意外でした。
「ウエディング・ベル」の歌詞の内容ですが、恋人が他の女性と結婚することになって、結婚式に招待された女性の心情を綴る歌詞ですよね。女性3人組が「くたばっちまえ! ア~メン♪」と歌うところは、当時としてはかなりインパクトがあったように記憶しています。
そんなギャップも受けたのでしょうが、Sugarの「ウエディング・ベル」は、オリコンランキング最高2位、レコード売上は70万枚を超える大ヒットとなりました。
また、Sugarはこの曲で1982年(昭和57年)の「第33回NHK紅白歌合戦」に初出場しています。
紅白には1982年(昭和57年)に初出場だったんだけど、その後、メンバーのお一人が若くして亡くなられてしまったんで、二度と再結成・再出場はできないんだよね。
そうなんですよね。そのSugarですが、
・ミキさん、1960年生まれ、東京都大田区出身
・クミさん、1960年生まれ、神奈川県横浜市出身
・モーリさん、1960年生まれ、神奈川県横浜市出身
の3人組でした。リーダーのモーリさんが、1990年に29歳という若さでお亡くなりになったんでしたよね。
ミキさんは、現在はソロ及び作曲家として活動されているようです。また、クミさんは、現在はデザイナーとして、企画・デザイン会社の代表をされているようですよ。
モーリさんが存命だったらと思うと残念ですね。
時代を駆け抜けていったSugarの「ウエディング・ベル」をどうぞ!
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1981年(昭和56年)の出来事
- ビートたけし、さんまらの「オレたちひょうきん族」大ヒット
- 具志堅用高がPフローレスに敗れ、防衛記録が13でストップ
- チャールズ・ウィンザー英皇太子がダイアナ嬢と結婚
- 沖縄県で1世紀ぶりに新種の鳥が発見されヤンバルクイナと命名された
- 京大教授の福井謙一がノーベル化学賞を受賞
1981年(昭和56年)のヒット曲ランキング
- ルビーの指環 (寺尾聰)
- 奥飛騨慕情 (竜鉄也)
- スニーカーぶる~す (近藤真彦)
- ハイスクール・ララバイ (イモ欽トリオ)
- 長い夜 (松山千春)
- 大阪しぐれ (都はるみ)
- 街角トワイライト (シャネルズ)
- 恋人よ (五輪真弓)
- チェリーブラッサム (松田聖子)
- 守ってあげたい (松任谷由実)
- ブルージーンズメモリー (近藤真彦)
- 恋=Do! (田原俊彦)
- 愛はかげろう (雅夢)
- 夏の扉 (松田聖子)
- ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編) (T.C.R.横浜銀蝿R.S.)
- みちのくひとり旅 (山本譲二)
- 帰ってこいよ (松村和子)
- メモリーグラス (堀江淳)
- シャドー・シティ (寺尾聰)
- ヨコハマ・チーク (近藤真彦)