今回ご紹介する1981年(昭和56年)のヒット曲は、寺尾聰さんの「ルビーの指環」です。
「ルビーの指環」は、1981年(昭和56年)2月5日に発売された寺尾聰さんの6枚目のシングルです。作詞:松本隆さん、作曲:寺尾聰さん、編曲:井上鑑さんとなっています。
寺尾聰さんの「ルビーの指環」と言えば、歌い出しは、「くもり硝子の向うは風の街♪」だったよね。しかし、寺尾聰さんの「聰」って字は、「聡」なんだよね。難しくて読めなくて、ずっと「てらおさとし」さんだと思ってたよ。
昭和56年10月1日の常用漢字表内閣告示までは、「聰」という字は使えたみたいなんですが、それ以降は使えなくなったみたいですね。今は「聡」になります。
さて、「ルビーの指環」ですが、オリコンランキングでは1位を獲得、レコード売上枚数は160万枚を超える大大ヒットとなりました。
正直に言うと、当時、寺尾聰さんの「ルビーの指環」って、そんなに良い曲だと思えなかったんだよね。でもめっちゃ売れたんだね。まだ、良さを理解できるほどの大人じゃなかったってことなのかな?
それに関連してなんだけど、当時、寺尾聰さんは石原プロモーションに所属していたんだけど、出来上がった「ルビーの指輪」を当時社長の石原裕次郎さんと専務の小林正彦さんに「聴かせたんだそうです。
すると、専務の小林正彦さんは「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」とダメ出しされたそうですが、社長の石原裕次郎さんは「いいんじゃないの」と言われたそうです。その一声で、レコード化が決定したそうですよ。
いや~、小林正彦さんと同じ意見だわ…。正直、今でも売れた理由が分からない…。
あなたの印象とは裏腹に、寺尾聰さんの「ルビーの指環」は、第23回日本レコード大賞を受賞、作詞者の松本隆さんは作詞賞、作曲者の寺尾聰さんは作曲賞、編曲者の井上鑑さんは編曲賞を受賞するなど、楽曲製作者に贈られるタイトルを総なめにしています。
俺って天邪鬼なのかな?
余談ですが、「ルビーの指環」は、当時の「ザ・ベストテン」では、12週連続1位という最長記録を樹立しているそうですよ。
私の個人的な感想とは裏腹に大大ヒットした寺尾聰さんの「ルビーの指環」をどうぞ!
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1981年(昭和56年)の出来事
- ビートたけし、さんまらの「オレたちひょうきん族」大ヒット
- 具志堅用高がPフローレスに敗れ、防衛記録が13でストップ
- チャールズ・ウィンザー英皇太子がダイアナ嬢と結婚
- 沖縄県で1世紀ぶりに新種の鳥が発見されヤンバルクイナと命名された
- 京大教授の福井謙一がノーベル化学賞を受賞
1981年(昭和56年)のヒット曲ランキング
- ルビーの指環 (寺尾聰)
- 奥飛騨慕情 (竜鉄也)
- スニーカーぶる~す (近藤真彦)
- ハイスクール・ララバイ (イモ欽トリオ)
- 長い夜 (松山千春)
- 大阪しぐれ (都はるみ)
- 街角トワイライト (シャネルズ)
- 恋人よ (五輪真弓)
- チェリーブラッサム (松田聖子)
- 守ってあげたい (松任谷由実)
- ブルージーンズメモリー (近藤真彦)
- 恋=Do! (田原俊彦)
- 愛はかげろう (雅夢)
- 夏の扉 (松田聖子)
- ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編) (T.C.R.横浜銀蝿R.S.)
- みちのくひとり旅 (山本譲二)
- 帰ってこいよ (松村和子)
- メモリーグラス (堀江淳)
- シャドー・シティ (寺尾聰)
- ヨコハマ・チーク (近藤真彦)