今回ご紹介する1976年(昭和51年)のヒット曲は、研ナオコさんの「あばよ」です。
「あばよ」は、1976年(昭和51年)9月25日に研ナオコさんが発売した12枚目のシングルです。作詞・作曲ともに中島みゆきさんとなっています。
研ナオコさんの「あばよ」って中島みゆきさんの曲だったんだね。
ただ、「あばよ」って聞くと、まずは、柳沢慎吾さんの決め台詞「あばよ」を思い出してしまうのは僕だけ?
※画像は、スタンプためす様からお借りしました。
研ナオコさんの「あばよ」ですが、オリコンで1位を獲得するなど、研ナオコさんにとって最大のヒット曲となりました。
第18回日本レコード大賞歌唱賞、日本歌謡大賞放送音楽賞、FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞を受賞しています。
研ナオコさんって他にもヒット曲があるけど「あばよ」が一番売れたんだね。
また、中島みゆきさんも1979年(昭和54年)のアルバム「おかえりなさい」でセルフカバーしています。
当時の印象だと研ナオコさんって歌手って言うよりタレントさんのイメージだったんだけど、二人はどこで接点を持ったんだろ?
研ナオコさんが飛行機の中で、中島みゆきさんの「アザミ嬢のララバイ」を聴いて感銘を受けたことから、曲提供を依頼したということのようです。
あ~、そういうきっかけなのね~
また、それを受けた中島みゆきさんですが、研ナオコさんが当時出演していた「ミノルタカメラ」CMを見て、「あれだけ人を笑わせることができるんだから、泣かせることもできるんじゃないか」という感想を持ったそうですよ。
いや、このCM、今だと各方面からクレームの嵐になって直ぐに放送禁止になってしまいそう。でもこのCMがあったからこそ研ナオコさんの「あばよ」が生まれたってことなのかもしれないね。
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1976年(昭和51年)出来事
- モントリオール五輪開催
- 学校給食に米飯が導入される
- アントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦
- ロッキード事件
- 「クロネコヤマトの宅急便」がスタート
- 「ほっかほっか亭」の1号店オープン
- 鹿児島で日本初の五つ子誕生