今回ご紹介する1980年(昭和55年)のヒット曲は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の「ライディーン」です。
「ライディーン」は、1980年(昭和55年)6月21日に発売されたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の2枚目のシングルです。作曲は、高橋幸宏さんとなっています。
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)ってこの頃、流行ってたよね。何で流行ったのかは知らんけど…
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の「ライディーン」ですが、オリコンランキング15位、レコード売上22.5万枚の大ヒットとなりました。
曲のタイトル「ライディーン」ですが、江戸時代の伝説的な力士「雷電爲右エ門」がヒントになっているようですよ。
相撲取りの「雷電」は聞いたことがあるよ。
雷電爲右エ門は、1767年生まれ、信濃国小県郡大石村(現・長野県東御市大石)の出身です。現役生活21年、勝率.962の大相撲史上未曾有の最強力士とされているんだそうですよ。14~15歳の頃には既に身長が約181センチぐらいあったそうです。
江戸時代で身長が181cmって大男だよね。しかし、勝率が凄い!まさに伝説の力士ですね。
ちょっと横道にそれてしまいましたが、その後、メンバーの細野晴臣さんが「アメリカで、勇者ライディーンっていうアニメがヒットしているので、ライディーンにしちゃおう」という発言で「ライディーン」となったようです。
なんか、意外とお気楽に付けられたタイトルなのねw
続いてご紹介するのは、同じくイエロー・マジック・オーケストラの「テクノポリス」です。
「テクノポリス(TECHNOPOLIS)」 は、1979年(昭和54年)10月25日に発売されたイエロー・マジック・オーケストラの日本国内で1枚目のシングルです。作曲は、坂本龍一さんとなっています。
「TOKIO TOKIO TOKIO TOKIO TOKIO…」っていうところが印象に残っているんだけど、正直、「ライディーン」と「テクノポリス」の区別がつかない…
イエロー・マジック・オーケストラの「テクノポリス」ですが、オリコンランキングでは最高9位、レコード売上29.3万枚の大ヒットとなりました。
「テクノポリス」と言えば、前述の「ライディーン」と並ぶイエロー・マジック・オーケストラの代表曲ですね。坂本龍一さんは「単に売れる曲を書いてやろうと思って」とコメントを残しているそうですよ。
狙ってヒット曲が作れるところが凄いよね。というか何か裏があるのか…
イエロー・マジック・オーケストラは、1978年(昭和53年)に結成されました。メンバーは、細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんの3人です。
シンセサイザーとコンピュータを駆使した音楽は、社会現象を巻き起こしたことでも有名ですよね。
うろ覚えなんだけど、テクノカットもこの頃だよね?
リュウアライ様のnoteによると1979年初頭には、YMOのみなさんはもみあげが無いヘアスタイルをしているので、これがテクノカットの最初じゃないかと指摘されていますね。
※画像は、リュウアライ様のnoteからお借りしました。
そう言えば、床屋て「テクノカットで…」なんて言った記憶があるなw
ということで、イエロー・マジック・オーケストラの「ライディーン」と「テクノポリス」をどうぞ!
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1980年(昭和55年)
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