今回ご紹介する1977年(昭和52年)のヒット曲は、世良公則&ツイストの「あんたのバラード」です。
「あんたのバラード」は、1977年(昭和52年)11月にリリースされた世良公則&ツイストのデビュー・シングルです。作詞・作曲:世良公則さん、編曲:世良公則&ツイストとなっています。
世良公則&ツイストの「あんたのバラード」は、最初聞いた時、めっちゃインパクトありましたね。「あんたにあげ~た~、愛の日々を~、今さら返せ~とは~、言わな~いわ~♪」世良公則さんのねっとりパワフルな歌い方が好きでした。
「あんたのバラード」ですが、世良公則さんが大阪芸術大学4年の時に書き上げたそうです。そして、バンドの練習していた近鉄奈良線の瓢箪山駅(東大阪市)近くにあった楽器店の店員さんの薦めで第14回ヤマハポピュラーソングコンテストに応募しグランプリを獲得したのがデビューのきっかけなのだそうですよ。
そう言えば、ヤマハのポプコン出身でしたよね。
ちなみに、当時、プロを目指したのは世良公則さんだけで、他のメンバーさんにとっては、学生バンドの思い出作りとしてヤマハのポプコンに出場したみたいですよ。
大学4年だと、否応なしにそれからの人生のことも考えなきゃならないし、全員揃ってプロを目指すってのも簡単じゃないですよね。
それぞれの見ている先は違いながらもヤマハのポプコンで世良公則&ツイストは「あんたのバラード」でグランプリを獲得する訳ですが、その後に控える世界歌謡祭の前に、スタジオでレコーディングをしたものが、デビューシングル「あんたのバラード」の音源なんだそうですよ。
つまり、デビューシングル「あんたのバラード」は、プロのミュージシャンが演奏しているのではなく、当時の学生バンドメンバーの演奏ってことなんだね。
そのデビューシングル「あんたのバラード」ですが、売上50万枚(75万枚)を超える大ヒットとなりました。
世良公則&ツイストは、これをきっかけに人気グループになっていく訳ですね。
そうですね。世良公則&ツイストは、「あんたのバラード」のヒットで、翌1978年(昭和53年)の「第29回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしています。
というか、紅白出場は、1978年(昭和53年)以降の「宿無し」や「銃爪」のヒットによる影響が大きかったかもね。
世良公則&ツイストは、世界歌謡祭まで組んでいたメンバーから新メンバーに変わるのですが、同じ大阪芸大で違うバンドでやってたメンバーを集めてプロデビューすることになったそうです。
デビュー前にそれぞれの道を進んだ旧メンバーも大阪芸大出身、新メンバーとして参加するドラムのふとがね金太さんやベースの鮫島さんも大阪芸大出身なんだね。
そうですね。で、プロデビューに際しては、世良公則の名前を残そうということで「世良公則&ツイスト」のバンド名になったそうです。そして翌1978年(昭和53年)1月9日の「夜のヒットスタジオ」出演から新メンバーで活動していったそうですよ。
なるほど~、理解しました!
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1977年(昭和52年)出来事
- エルヴィス・プレスリーが死去(42歳)
- キャンディーズが解散宣言(「普通の女の子にもどりたい」)
- 王貞治さんが通算756号のホームランを打ち世界記録を樹立、第1回国民栄誉賞を受賞
- 樋口久子さんが全米女子プロゴルフ選手権で日本人初優勝
- 映画「ロッキー」が大流行
- スナックのカラオケが大ブーム
1977年(昭和52年)テレビドラマ・アニメ
- 赤い激流
- 赤い絆
- ヤッターマン
- あらいぐまラスカル
- 一発貫太くん
1977年(昭和52年)ヒット曲ランキング
- 渚のシンドバッド(ピンク・レディー)
- 青春時代 (森田公一とトップギャラン)
- ウォンテッド (ピンク・レディー)
- 勝手にしやがれ (沢田研二)
- 昔の名前で出ています (小林旭)
- 雨やどり (さだまさし)
- カルメン’77 (ピンク・レディー)
- S.O.S (ピンク・レディー)
- 失恋レストラン (清水健太郎)
- フィーリング (ハイ・ファイ・セット)
- 北の宿から (都はるみ)
- 帰らない (清水健太郎)
- 星の砂 (小柳ルミ子)
- ペッパー警部 (ピンク・レディー)
- あずさ2号 (狩人)
- 津軽海峡冬景色 (石川さゆり)
- スカイ・ハイ (ジグソー)
- 愛のメモリー (松崎しげる)
- 赤い衝撃 (山口百恵)
- イミテイション・ゴールド( 山口百恵)