「雨がやんだら」は、1970年(昭和45年)10月21日に発売された朝丘雪路さんのシングル・レコードで、翌1971年(昭和46年)に大ヒットしました。 作詞:なかにし礼さん、作曲・編曲:筒美京平さんとなっています。
「雨がやんだら、お別れなのね…♪」だよね~
「雨がやんだら」ですが、オリコンチャートの最高位は5位で、1971年(昭和46年)のオリコン年間順位は第23位にランクされています。
めちゃくちゃ売れたんだね。
朝丘雪路さんは、「雨がやんだら」の大ヒットで、1971年(昭和46年)の「第22回NHK紅白歌合戦」に5年ぶり通算10回目の出場を果たしています。
朝丘雪路さんって、紅白に10回も出てるの~?
俳優というのか、タレントさんというのか、歌手だとは思ってなかったよ~
朝丘雪路さんですが、女優でもあり、タレントでもあり、また、舞踊家、歌手、司会者といったマルチなタレントさんでした。
そう言えば、歌番組の司会をやってましたよね?
1974年4月1日から1975年3月31日まで歌謡番組「夜のヒットスタジオ」の2代目司会者として、芳村真理さん、三波伸介さんと3人で司会を担当していました。
※画像は、キネコ様のXよりお借りしました。
うわ~、三波伸介さん、懐かしいなぁ~!吉村真理さんも朝丘雪路さんも若い!
貴重な写真ありがとうございます!
朝丘雪路さんは、1935年生まれ、東京市京橋区(現・東京都中央区)築地の出身です。元宝塚歌劇団月組娘役をされたりもしていました。また、夫は津川雅彦さん、義兄は長門裕之さん、義姉は南田洋子さんとまさに芸能一家ですね。遠戚にお笑いの宮川大輔さんがいます。
いや~、本当に凄いご家系ですよね。
朝丘雪路さんですが、世間知らずのお嬢様育ちで、一般常識というものがよく分からずまさに浮世離れした人格だったそうです。幼少期から何処に出掛けるにも養育係と一緒だったため、お金の使い方や道順を覚えるということを知らないまま成長、生涯、一人では公共交通に乗って移動することも、切符の購入も出来なかったらしいですよ。マジで凄い!
羨ましいなぁ~、俺もお金に困らない生活を送ってみたいよ~
また、結婚するまで自分でお金を払って買い物をした経験が全くなかったのだそうです。家事も全くダメで、「火が怖い」「洗濯機が使えない」「掃除機の使用方法が分からない」といった感じだったそうです。
想像できるレベルの右斜め上を行く感じだから、旦那さんの津川雅彦さんも大変そうだけど、でも、楽しそうでもあるよね。
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1970年(昭和45年)出来事
- 日本万国博覧会(大阪万博)開幕
- よど号ハイジャック事件発生
- ザ・ビートルズ解散
- ボーリング・ブーム
- 日本初の歩行者天国が銀座、新宿、池袋、浅草で実施