今回は、稲垣潤一さんの「雨のリグレット」と「ドラマティック・レイン」の2曲をお届けします。
まず、最初にご紹介する「雨のリグレット」は、1982年(昭和57年)1月21日に発売された稲垣潤一さんのデビューシングルです。作詞:湯川れい子さん、作曲:松尾一彦さん、編曲:井上鑑さんとなっています。
稲垣潤一さんの「雨のリグレット」はすごく好きな曲なんだよね。歌い出しは、「凍れる淋しさを片手で支えて、電話のボックスで、唇かんでる♪」だったよね。「電話ボックス」を「電話のボックス」って言う歌詞が妙に気になったんだよね。で、作曲は、オフコースの松尾一彦さんだったんだね。
稲垣潤一さんのデビューシングル「雨のリグレット」ですが、オリコンランキングでは最高65位、レコード売上3.7万枚とイマイチの結果でした。
「雨のリグレット」は良い曲なんだけどね。パッとしなかったんだ。
そうなんですよね。実は、「雨のリグレット」に続く2作目は「246:3AM」という曲なんですが、こちらはチャートインもしませんでした。
そこで、事務所は、ヒットメーカーである筒美京平さんに作曲のオファーをお願いして、次作のメロディーが先に完成しました。
「246:3AM」も良い曲なんだけどね…。で、先にメロディが完成したというのが後の「ドラマティック・レイン」になるんだね。
そうなんです。次にご紹介する「ドラマティック・レイン」は、1982年(昭和57年)10月21日に発売された稲垣潤一さんの3枚目のシングルになります。作詞:秋元康さん、作曲:筒美京平さん、編曲:船山基紀さんとなっています。
稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」はよく聞きましたね。歌い出しは、「今夜のおまえはふいに、長い髪ほどいて♪」でしたよね。ちょっとAORというのか大人っぽい雰囲気が好きでした。
しかし、秋元康さんはこの頃から作詞活動をしてたんだね。
秋元康さんですが、1981年(昭和56年)10月に Alfee の「言葉にしたくない天気」で、作詞家として活動を始めています。当時はヒット曲もほとんど無く仕事の依頼も少なかったようです。
今回ご紹介している「ドラマティック・レイン」のコンペに応募して秋元康さんの詞が採用されたという経緯のようです。
稲垣潤一さんにとっても、秋元康さんにとっても「ドラマティック・レイン」はターニングポイントとなる一曲だった訳なんだね。
そういうことになりますね。「ドラマティック・レイン」は、オリコンランキングでは最高8位、レコード売上31.4万枚の大ヒットとなりました。
稲垣潤一さんって声が何とも特徴的なんだよね。声を聞くと直ぐに稲垣潤一さんってわかっちゃうぐらい。
余談ですが、秋元康さんは、この「ドラマティック・レイン」のヒットで手にした印税でBMWを購入して、「ドラマティック・レイン号」と名付けたんだそうですよ。
いや~、その気持ち分かるような気がするw
それでは、稲垣潤一さんの「雨のリグレット」と「ドラマティック・レイン」の2曲をどうぞ!
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1982年(昭和57年)の出来事
- 日航機が羽田沖に墜落する大事故が発生
- 東北新幹線(大宮~盛岡間)開業
- 上越新幹線(新潟~大宮間)開業
- ロッテの落合博満が3冠王
- 500円硬貨が発行
- ホテル・ニュージャパン火災
1982年(昭和57年)のヒット曲ランキング
- 待つわ (あみん)
- セーラー服と機関銃 (薬師丸ひろ子)
- 聖母たちのララバイ (岩崎宏美)
- 心の色 (中村雅俊)
- 北酒場 (細川たかし)
- 悪女 (中島みゆき)
- ハイティーン・ブギ (近藤真彦)
- チャコの海岸物語 (サザンオールスターズ)
- 情熱・熱風・せれなーで (近藤真彦)
- ふられてBANZAI (近藤真彦)
- 渚のバルコニー (松田聖子)
- 赤いスイートピー (松田聖子)
- ウエディング・ベル (Sugar)
- 哀愁のカサブランカ (郷ひろみ)
- 小麦色のマーメイド (松田聖子)
- ジェームス・ディーンのように (Johnny)
- 誘惑 (中島みゆき)
- シルエット・ロマンス (大橋純子)
- 色つきの女でいてくれよ (ザ・タイガース)
- い・け・な・いルージュマジック (忌野清志郎+坂本龍一)