今回ご紹介する1975年(昭和50年)のヒット曲は、バンバンの「いちご白書をもう一度」です。
「いちご白書をもう一度」は、1975年(昭和45年)8月1日にリリースされたバンバンの5枚目のシングルです。全作詞・作曲:荒井由実さん、全編曲:瀬尾一三さんとなっています。
バンバンの「いちご白書をもう一度」は名曲ですよね~
「いつか~、君といった~映画がまたくる~♪」ってね!
タイトルにある「いちご白書」というのは、1968年(昭和43年)にコロンビア大学で実際に起こった学園紛争の手記をもとに制作された映画で、1970年(昭和45年)6月15日に公開されました。
※画像は、ぴあ映画様からお借りしました。
「いちご白書」っていう映画を見たことが無いから分からないけど、この時代は学生運動とかの時代だったんだよね。しかしなんで「いちご白書」ってタイトルなのかな?いちごが出てくる?
タイトルの「いちご白書」の由来ですが、映画の舞台となったコロンビア大学の学部長ハーバート・A・ディーンという人が、大学の運営についての学生の意見を、学生たちがイチゴの味が好きだと言うのと同じくらい重要さを持たないものとして見下したということに由来するらしいです。
なんか、分かったような分からないような…微妙な由来だよね…
話を「いちご白書をもう一度」に戻すと、バンバンのメンバーであるばんばひろふみさんは、当時、深夜ラジオのディスクジョッキーとして人気も高かったのですが、デビューから4年経過してもまだヒット曲がないことに焦りを感じていたそうです。
確かに、アーティストである以上はヒット曲が欲しいよね~
ちょうど、その頃、荒井由実さん(現・松任谷由実さん)の曲を聞き「他の女性シンガーとは違う。キラキラしたすごい才能」と感銘を受けたばんばひろふみさんは「彼女の曲で売れなければ諦めもつく」と考え、最後の曲として荒井に書いてもらいたいと思い、荒井由美さんに会うためあらゆる伝手を探したんだそうです。
いや~、この当時の荒井由実さんは、才能の塊ですよ!
もちろん、今でも素晴らしいのですが!
そして、ばんばひろふみさんは荒井由美さんに会い、何も条件を付けずに一曲書いてもらうようにお願いしたんだそうです。
まぁ、お願いするんだから、条件は付けれませんよね。普通…
ばんばひろふみさんに曲作りを依頼された荒井由美さんですが、当時あった学生運動を題材にした歌を書きたいと思っていたそうなんです。そんな時にばんばひろふみさんと会ったところ、「初対面のばんばが学生っぽく、最後のピースがはまった感じだった」と感じ、曲を書くことになったそうです。
そして、生まれた曲が「いちご白書をもう一度」ということなんですね。
ジャケットのばんばひろふみさん、学生っぽいか~?
デモテープを聞いたばんばひろふみさんは、興行が振るわずすぐ打ち切られた、誰も知らないような映画(=「いちご白書」)をタイトルに使ったことに驚くのと同時に、日常性を捉えながらも学生時代への別れを表現する斬新なフレーズにまた驚いたということです。
いや~、これは分かる気がする!
レコードが発売される前に、ばんばひろふみさんが、「いちご白書をもう一度」を自分が担当する深夜ラジオ番組で流したところ、たちまちリクエストはがきが段ボール箱にあふれるほど殺到したそうですよ。
フライイングでマーケティングしてるんだね~ 役得ってやつ?
「いちご白書をもう一度」は、バンバンとしては唯一のオリコン1位を獲得し、年間売り上げ13位にランクインしています。累計売上は75.1万枚とも100万枚以上とも言われています。
流行ったし、それぐらいは売れたでしょう!
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1975年(昭和50年)出来事
- 山陽新幹線(岡山~博多間)開業
- 紅茶キノコブーム
- ウイングスの初の来日公演が中止(外務省による入国拒否)
- 第一次ディスコ・ブーム
- 西城秀樹が日本人のソロ歌手として史上初となる日本武道館でのコンサートを開催
- 沖縄国際海洋博覧会開幕
- 日本初の家庭用テレビゲーム機「テレビテニス」を発売