マイ・シェリー・アモール(スティーヴィー・ワンダー) 1969年(昭和44年)

今回ご紹介する1969年(昭和44年)のヒット曲は、スティーヴィー・ワンダーの「マイ・シェリー・アモール(My Cherie Amour) 」です。
「マイ・シェリー・アモール(My Cherie Amour) 」は、スティーヴィー・ワンダーが1969年(昭和44年)に発表した楽曲です。

スティーヴィー・ワンダーの「マイ・シェリー・アモール(My Cherie Amour) 」、好きな曲ですよ~

スティーヴィー・ワンダーがミシガン州のランシングに通っていたころにガールフレンドについて書いた曲が原曲で、もともとの曲名は「Oh My Mercia」だったそうです。

ところで、ランシングって何?

ランシング (Lansing) は、アメリカ合衆国ミシガン州の州都のことです。

あ~、そういうことね!

ガールフレンドと別れた後、歌詞と曲名は「Cherie Amour」(=大切な愛)に変更されたんだそうです。

まぁ、歌詞と曲名が、昔の彼女の名前のままじゃ、嫌だよね。

「マイ・シェリー・アモール」は、1967年~1968年にかけて録音されたのですが実際は、発表されず、リミックスされて1969年(昭和44年)に発表されました。作詞・作曲はスティーヴィー・ワンダー、ヘンリー・コスビー、シルヴィア・モイとなっています。

発表まで意外と時間がかかったんだね。めっちゃいい曲なのにね。

「マイ・シェリー・アモール」ですが、ビートルズの「ミッシェル」の影響を受けているようで、モータウン・レコードは、あまりにもポール・マッカートニーの作品と似ていると判断し、B面に収録されたのだそうです。

へ~、個人的には全く似てないというか、「ミッシェル」よりも「マイ・シェリー・アモール」の方が好きかな。

あなたの好みはどうでも良いですが…。
で、発売したA面の曲があまりパッとしなかったのに対し、「マイ・シェリー・アモール」はポップ・シングルチャートとR&Bシングルチャートの両方で、最高4位を記録、大ヒットとなりました。

いや~、それに納得です。

ちなみに、スティーヴィー・ワンダーは、11歳の時にモータウンのTamlaレーベルと契約して以来、現在までモータウン一筋に活動しています。

11歳でプロ契約なんでしょ?スティーヴィー・ワンダー、どんだけ才能があるの!

また、スティーヴィー・ワンダーは、30曲以上のU.S.トップ10ヒットを放ち、計22部門でグラミー賞を受賞、最も受賞回数の多い男性ソロ・シンガーでもあります。


1969年(昭和44年)のヒット曲「マイ・シェリー・アモール」スティーヴィー・ワンダー

1969年(昭和44年)ヒット曲

順位曲 名歌手名
1位いいじゃないの幸せならば佐良直美
2位夜明けのスキャット由紀さおり
3位どしゃぶりの雨の中で和田アキ子
4位長崎は今日も雨だった内山田洋とクールファイブ
5位黒ネコのタンゴ皆川おさむ
6位夜と朝のあいだにピーター
7位ドリフのズンドコ節ザ・ドリフターズ
8位今日でお別れ菅原洋一
9位禁じられた恋森山良子
10位白いブランコビリー・バンバン