兼高かおる世界の旅 1954年(昭和34年)

「兼高かおる世界の旅」は、1959年(昭和34年)12月13日から1990年まで30年以上にわたって放送された紀行番組です。

わ~、懐かしいなぁ~
確か放送は、日曜日の朝だったと思うんだけど、見てたなぁ~

ジャーナリストの兼高かおるさんがディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、全世界・約160か国を取材した映像を放送していました。

兼高かおるさんは、世界160か国も旅したんだ~
当時は、海外旅行なんて夢のまた夢みたいな存在だったもんなぁ~

兼高かおるさんは、1928年生まれ、兵庫県神戸市出身のジャーナリスト(ツーリストライター)です。1946年香蘭女学校卒業後、1954年ロサンゼルス市立大学に留学、その後ジャーナリストとして活躍されました。

しかし、1950年代に海外の大学に留学って凄い!

なんでも、兼高かおるさんは、仕事で地球を180周ぐらいする距離を旅したようですよ。

地球を1周ですら、想像つかないのに180周って凄すぎ!

テーマ曲ですが、映画「八十日間世界一周」のテーマが使用されていました。

この音楽、後から「八十日間世界一周」の音楽だった知ったんだよね。

ちなみに、日本人の海外渡航自由化は、1964年(昭和39年)4月1日のことで、観光目的のパスポートの発行が開始され、1人年1回、海外持ち出し500ドルまでの制限付きで海外への観光旅行が可能となりました。

当時は、年1回までしか海外旅行に行けなかったんだね!

海外旅行の黎明期である1960年代は、購入できる客層が限られた超高額商品でした。
海外渡航の自由化から1週間後にJTBが主催した、ハワイ9日間の旅行代金は、当時の国家国務員大卒初任給の19倍という36万4000円。1965年4月10日に出発した「ジャルパック/ヨーロッパ16日間コース」は67万5000円だったそうです。

今の感覚だとどれぐらいなのかな?

今の物価に換算すると、JTBのハワイツアーは400万円、ジャルパックのヨーロッパツアーは700万円に相当するらしいです。それでも1964年の出国者数は12万7749人もいたそうですよ。

え~!めっちゃ高い!
しかし、いつの時代もお金持ちがいるんですね~
羨ましいわ~

値段も高く特別なものだった当時の海外旅行ですが、参加者の多くは、スーツにネクタイを着用して航空機に搭乗していました。また、空港には多くの人が集まり、彼らの出発を見送ったそうですよ。

仕事でスーツを着ていた訳じゃないんだね。

また、旅の必携品は、御守と正露丸、漬物などだったそうです。
また、海外で購入する土産品で人気があったのは、洋酒やたばこ、香水だったそうです。

確かに、昔の会社の社長さんのお土産とかでタバコとかナポレオンみたいな洋酒が多かったし、よく飾ってあったよね。

兼高かおるさんですが、医師、看護師の育成を目的とした奨学金制度を管理する財団をお作りになられていました。

一般財団法人兼高かおる基金


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