今回ご紹介する1963年(昭和38年)のヒット曲は、坂本九さんの「上を向いて歩こう」です。
坂本九さんが歌った「上を向いて歩こう」ですが、作詞は永六輔さん、作曲は中村八大さんとなっています。
「上を向いて、歩こう~、涙がこぼれないように~、思い出す~、春の~日~、一人ぽっちの夜~♪」だよね。
「ひとりぼっち」だと思ってたけど、歌詞は「ひとりぽっち」なんだよね。
語源的には「ひとりぼっち」が正しいようですが、「ひとりぽっち」でも良いみたいですよ。
さて、「上を向いて歩こう」ですが、あまりにも有名だし、きっと誰でも1度は耳にしたことがあるんじゃないかなと思います。
でも、曲自体は、1961年(昭和36年)10月に発表されたものなのだそうです。
1963年(昭和38年)じゃなくて1961年(昭和36年)には発売されていた曲なんだね!
「上を向いて歩こう」ですが、1961年(昭和36年)10月15日にレコード発売されると爆発的なヒットとなり、発売から3か月で30万枚を突破、当時の日本のレコード売り上げランキングでは1961年(昭和36年)11月から1962年(昭和37年)1月まで3か月にわたり1位を独走したそうです。
発売から3カ月で30万枚以上って、大ヒット曲なんだね!
そんな「上を向いて歩こう」ですが、、1963年(昭和38年)に「Sukiyaki」のタイトルでアメリカで発売され、1963年(昭和38年)6月15日から6月29日にかけて3週連続でビルボード・Hot 100の1位を獲得するという快挙を成し遂げました。
日本人では唯一人なんだそうですよ。
そう言えば、BTSのメンバー・ジミン(JIMIN)さんが、アジアのソロ歌手では坂本九さん以来63年ぶりに1位と取ったってニュースで見たよ。
しかし、坂本九さんは、今から60年も前に日本人でビルボートの1位を獲得なんて、ほんと凄いよね!
そんな坂本九さんですが、1941年(昭和16年)生まれ、神奈川県川崎市川崎区のご出身です。
「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」等数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1,500万枚以上に達しているそうですよ。
しかし、残念ながら、1985年(昭和60年)8月12日に起きた「日本航空123便墜落事故」に巻き込まれ43歳と言う若さでお亡くなりになりました。
日航機墜落事故は覚えているけど、ほんと、偉大な方を亡くしました…
ところで、「上を向いて歩こう」がアメリカで流行った理由ですが、1962年にイギリスのトランペッター、ケニー・ボールという人が彼のバンドでインスト曲として演奏し、「SUKIYAKI」というタイトルで発売、全英チャートで10位にランクインしたのが海外で大ヒットとなるきっかけだったようです。
イギリスから始まったんだ~
ちなみに、「SUKIYAKI」という曲名ですが、ケニー・ボールの証言では、「上を向いて歩こう」ではタイトルが長くなってしまうので短くわかりやすい日本語の曲名をつけたかったそうなんです。
なるほど…
ただ、その当時、彼が知っていたものが「SUKIYAKI」と「SAYONARA(さよなら)」ぐらいだったのと、「サヨナラ」では暗すぎるのでどうすれば良いかと思案していたそうです。
「SUKIYAKI」と「SAYONARA(さよなら)」の2択やったわけ?究極の2択じゃん!
たまたま、中華料理屋での会食で同席していた友人の女性歌手ペトゥラ・クラークに相談したところ「SUKIYAKI」がいいと言われたこともあり、タイトルに採用されることとなったということなのだそうですよ。
その女友達が「SAYONARA(さよなら)」が良いって言ってたら、「SUKIYAKI」じゃなくて「SAYONARA」になっていた可能性もあるってこと…
まぁ、そんなことになりますな。
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1963年(昭和38年)のヒット曲ランキング
順位 | 曲 名 | 歌手名 |
---|---|---|
1位 | こんにちは赤ちゃん | 梓みちよ |
2位 | 見上げてごらん夜の星を | 坂本九 |
3位 | 高校三年生 | 舟木一夫 |
4位 | 長崎の女 | 春日八郎 |
5位 | ホンダラ行進曲 | ハナ肇とクレージーキャッツ |
6位 | 東京五輪音頭 | 三波春夫 |
7位 | 若い季節 | ザ・ピーナッツ |
8位 | 学園広場 | 舟木一夫 |
9位 | 男船 | 井沢八郎 |
10位 | みんな名もなく貧しいけれど | 三田明 |