ガラスの十代(光GENJI) 1987年(昭和62年)

今回ご紹介する1987年(昭和62年)のヒット曲は、光GENJIの「ガラスの十代」です。
「ガラスの十代」は、、1987年(昭和62年)11月26日にリリースされた光GENJIの2枚目のシングルです。作詞・作曲:飛鳥涼さん、編曲:佐藤準さんとなっています。

光GENJIの「ガラスの十代」は、流行りましたよね。もうこの頃には、私は20代でしけど、カラオケで歌った記憶があります。歌いだしは、「言わないで、言わないで、さよならは間違いだよ♪」でしたね。作詞・作曲は、チャゲ&飛鳥の飛鳥さんだったんだね。

光GENJIの「ガラスの十代」ですが、飛鳥さんの三部作の2曲目ということになります(1曲目「STAR LIGHT」、2曲目「ガラスの10代」、3曲目「パラダイス銀河」)。
「ガラスの十代」は、オリコンシングルチャートでは、前作「STAR LIGHT」に引き続き初登場1位を獲得、レコード売上68.1万枚(公称95万枚)を超える大ヒットとなりました。
余談ですが、「ガラスの十代」発売当時は光GENJIのメンバー全員が十代だったそうで、光GENJIが結成された1987年(昭和62年)の時点で10代後半だった2人が「光」、10代前半だった5人が「GENJI」となったんだそうですよ。

なるほど、「光」と「GENJI」が一緒になって「光GENJI」になったんだ。てっきり、紫式部の源氏物語から名付けたとばっかり思っていたよ。

また、光GENJIは最後のスーパーアイドルともいわれていましたよね。

それぐらい人気も凄かったってことなんだね。

そして、光GENJIと言えば、ローラースケートパフォーマンスが有名でしたよね。当時、後楽園でローラースケートの練習をしたそうですよ。
※画像は、SoundCloud様からお借りしました。

ムムムム…。後楽園でローラースケートというと私の世代だとやっぱり東京ボンバーズになってしまうのだよね。
そういえば、光GENJIのメンバーも歌っている途中でよく転んでいたよね。

確かに歌っている途中で転んでいましたよね。
さて、光GENJIのメンバーですが、
・内海光司さん(1968年生まれ、東京都出身)
・大沢樹生さん(1969年生まれ、東京都文京区出身)
・諸星和己さん(1970年生まれ、静岡県富士市出身)
・佐藤寛之さん(1970年生まれ、千葉県鎌ケ谷市出身)
・山本淳一さん(1972年生まれ、東京都八王子市出身)
・赤坂晃さん(1973年生まれ、東京都国立市出身)
・佐藤敦啓さん(1973年生まれ、神奈川県藤沢市出身)
の7人でした。

顔見れば、なんとなくわかるんだけどね。

私なんか、一人も知りませんからw
それでは、光GENJIの「ガラスの十代」をどうぞ!

1987年(昭和62年)のヒット曲「ガラスの十代」光GENJI

1987年(昭和62年)ヒット曲

順位曲名歌手名売上枚数
1位命くれない瀬川瑛子42.3万
2位TANGO NOIR中森明菜34.8万
3位雪國吉幾三33.7万
4位STAR LIGHT光GENJI31.8万
5位Strawberry Time松田聖子31.7万
6位難破船中森明菜30.5万
7位Blonde中森明菜30.1万
8位無錫旅情尾形大作29.7万
9位追憶五木ひろし28.2万
10位君だけに少年隊28.1万