今回ご紹介する1983年(昭58年)のヒット曲は、安全地帯の「ワインレッドの心」です。
「ワインレッドの心」は、1983年(昭58年)11月25日にリリースされた安全地帯のシングルです。作詞:井上陽水さん、作曲:玉置浩二さん、編曲:安全地帯、星勝さんとなっています。
安全地帯の「ワインレッドの心」というか、この頃の安全地帯は大好きでしたね。歌い出しは、「もっと勝手に恋したり、もっとKISSを楽しんだり♪」でした。玉置浩二さんの声や歌い方とも相まって、大人の曲って感じがした一曲でした。
安全地帯の「ワインレッドの心」ですが、オリコンランキングでは1位を獲得、レコード売上は71.4万枚と大ヒットになりました。
当時、安全地帯の「ワインレッドの心」は、いろんなところでよく流れていた印象だよね。そう言えば、安全地帯も下積み時代が長かったんだよね。
そうですね。安全地帯は、1973年(昭和48年)に北海道の旭川市で結成しています。その後、北海道を中心にアマチュアバンドとして活動してたのですが、1981年(昭和56年)に上京しています。そこから「’81井上陽水ツアー」にバックバンドとして全国ツアーを経験した後、1982年(昭57年)にシングル「萠黄色のスナップ」でメジャー・デビューしています。
「ワインレッドの心」がヒットするまで10年もかかったんだね。そこまでよく続けてこれたよね。普通なら途中で挫折しちゃいそう…。
ほんとそうだよね。ただ、メジャーデビューしたものの、2枚目のシングル「オン・マイ・ウェイ」、3枚目のシングル「ラスベガス・タイフーン」も大してヒットしなかったこともあり、メンバーのみなさんもかなりしんどかったんじゃないかな。
10年近く頑張って、やっとメジャーデビューしたのに、ヒットしないと精神的にかなり苦しいよね。
そんな状況を見て、プロデューサーの星勝さんは、作曲を外部に依頼することをメンバーに打診したそうですが、玉置浩二さんは「曲は俺が自分で作る。それができないんならバンド辞めて北海道に帰ります」と答えたそうですよ。
まさに背水の陣で臨んだんだね。
そういう中で、玉置浩二さんはこの「ワインレッドの心」を完成させたんですね。驚くことに、この時期に後に大ヒットする「恋の予感」や「碧い瞳のエリス」といった曲も原型を完成させていたそうですよ。
玉置浩二さんの才能って凄いんだね。個人的には、最近の玉置浩二さんの曲よりも、デビューしてからの前半の曲に良い曲が多いような気がする。まぁ、玉置浩二さんに限らず、デビューしたての頃に良い曲が集まっている説を私は唱えますw
まぁ、曲の好みはひとそれぞれですからね。「ワインレッドの心」は、サントリー「赤玉パンチ」のCMソングに採用されるなどしてヒットしていくことになります。
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