今回ご紹介する1983年(昭58年)のヒット曲は、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」です。 「ギザギザハートの子守唄」は、1983年(昭58年9月21日にリリースされたチェッカーズのデビュー・シングルです。作詞:康珍化さん、作曲:芹澤廣明さん、編曲:芹澤廣明さんとなっています。
チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」、懐かしいね~ 歌い出しは、「ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と呼ばれたよ♪」だったよね。
チェッカーズのデビューシングル「ギザギザハートの子守唄」ですが、実は、発売当初は殆ど売れなかったんですね。ところが、翌1984年(昭和59年)1月に発売した、2枚目のシングル「涙のリクエスト」が大ヒットしたことで、「ギザギザハートの子守唄」も相乗効果で売り上げを伸ばしました。3枚目のシングル「哀しくてジェラシー」も含めて、3曲同時にオリコンランキングトップ10入りを果たしています。
確かに「涙のリクエスト」のイメージの方が強いかな?
話を戻しますと、「ギザギザハートの子守唄」はオリコンランキングでは最高8位を獲得、レコード売上39.6万枚の大ヒットになりました。
1984年(昭和59年)頃からチェッカーズがド~ンと来たって感じだったもんね。
チェッカーズですが、アマチュア時代はシャネルズと同じドゥーワップのバンドだったんですよね。その頃は、衣裳もスーツ姿でした。実は、アマチュア時代のチェッカーズのライブを見たことがあって、そんな彼らがいきなりテレビで出てきたのでびっくりした印象があります。 ※画像は、あぶらーず – YouTube様よりお借りしました。

つまりチェッカーズが福岡で活躍していた時代に見たってことなんだね。しかし、チェッカーズって、こんな感じのバンドだったんだね。デビューしてからとは全然違うね。
そうなんですよね。デビュー前は、見た目も雰囲気もシャネルズって感じだったのが(あくまでも個人的な感想ですが)、テレビに出てきたらいきなりアイドルでしたからね。本人たちもかなりの抵抗があったそうですよ。
物凄い人気だったし、ファッションを真似てる人も多かったよね。さすがにチェック柄の服は着れなかったけど、私も前髪をピローンと垂らす髪型をしてましたねw ※画像は、善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』からお借りしました。

確かに、当時は、前髪をピローンと垂らす髪型をしている人がたくさんいましたよね。後、安全地帯の玉置浩二さんの髪型も多かった。

そうそう、この玉置浩二さんの髪型も真似してたな~ 当時の方が、今よりも芸能人の影響が大きかったような気がするね。
今みたいにネットで色々な情報を手にすることができない時代でしたし、メディアの中心はやっぱりテレビだったという影響もあるんでしょうね。
それでは、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」をどうぞ!
1983年(昭58年)のヒット曲「ギザギザハートの子守唄」チェッカーズ
1983年(昭和58年)ヒット曲
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🏮 日本の音楽文化への影響
「ギザギザハートの子守唄(チェッカーズ) 1983年(昭和58年)」は単なるヒット曲を超え、昭和60年代の日本の音楽文化を形作った重要な楽曲の一つです。この時代の音楽は、テレビの普及やレコード産業の成長とともに、日本全国の家庭に届けられました。
その後の音楽シーンにも少なからず影響を与えたこの曲は、後続のアーティストたちにとってもインスピレーションの源となっています。昭和・平成の音楽史を辿る時、この曲は必ず言及される名曲として確固たる地位を築いています。