今回ご紹介する1971年(昭和46年)のヒット曲は、赤い鳥の「翼をください」です。
「翼をください」は、1971年(昭和46年)2月5日にシングル「竹田の子守唄」のB面としてリリースされた赤い鳥の楽曲です。作詞:山上路夫さん、作曲:村井邦彦さん、編曲:赤い鳥となっています。
「今 私の願いごとが叶うならば 翼がほしい♪」だよね。聞いたことはあったんだけど、サッカー日本代表の応援歌として有名になるまで、誰が歌っているのか、何と言うタイトルなのかも知りませんでした。
実は私もあんまり記憶になんですよね(ごめんなさい)。
さて、赤い鳥の「翼をください」ですが、オリコンランキングでは最高22位、レコード売上15.7万枚を記録するヒットになりました。
当時もヒットしているんだよね。でも、やっぱりサッカー日本代表の応援歌になってから再認識したというのが私の中での「翼をください」です。
赤い鳥の「翼をください」ですが、FIFAワールドカップフランス大会予選のUAE戦(1997年10月26日開催)からサッカー日本代表チームの応援歌として歌われるようになったことで脚光を浴びましたよね。

当時は、テレビにかじりついて日本を応援していましたよね!「ジョホールバルの歓喜」ですよね!「ドーハの悲劇」を知っている世代からすると、日本がワールドカップに出るなんて夢のような出来事だったのを今でも覚えていますよ。
しかし、どうして「翼をください」だったのかな?他にも曲はあるだろうのに…
当時の日本代表は、加茂監督を解任し、岡田武史ヘッドコーチを監督に昇格させたものの第5戦のウズベキスタン戦も1-1のドローとなり、勝点1差を付けられたまま、10月26日に国立競技場で、2位UAEとの直接対決を迎えた訳です。このUAE代表との直接対決は、勝てば2位に浮上、敗れれば窮地に追い込まれるとい状況だったんですよね。
そんな時に、熱狂的なサポーターたちが、明るくて、みんなが知ってる曲を探したところ「翼をください」は、誰もが学校で歌ってるし、みんな知っているからということで、「翼をください」が応援歌に決まったそうです。
みんなが知っている曲で「翼をください」って、そんなにヒットした訳じゃないよね?しかも、学校で歌うの?
私も知らなかったんですが、赤い鳥の「翼をください」ですは、1976年(昭和51年)以後、音楽教科書にもたびたび掲載されていて、合唱曲として有名なんだそうです。ちなみに、私の妻も知ってましたよ。
なるほど、学校の教科書に載っていてみんなで合唱したことがあったりするので「翼をください」をみんなが歌える訳なんだ。理解しました!
1971年 邦楽ヒット曲 ランキング
| 順位 | 曲名 | 歌手名 | 売上枚数 |
|---|---|---|---|
| 1位 | わたしの城下町 | 小柳ルミ子 | 110.3万 |
| 2位 | 知床旅情 | 加藤登紀子 | 102.8万 |
| 3位 | また逢う日まで | 尾崎紀世彦 | 92.8万 |
| 4位 | 傷だらけの人生 | 鶴田浩二 | 77.9万 |
| 5位 | ナオミの夢 | ヘドバとダビデ | 66.6万 |
| 6位 | よこはま・たそがれ | 五木ひろし | 60.6万 |
| 7位 | 花嫁 | はしだのりひことクライマックス | 60.5万 |
| 8位 | 雨のバラード | 湯原昌幸 | 55.5万 |
| 9位 | 望郷 | 森進一 | 54.5万 |
| 10位 | さらば恋人 | 堺 正章 | 52.9万 |
🏮 日本の音楽文化への影響
「翼をください(赤い鳥) 1971年(昭和46年)」は単なるヒット曲を超え、昭和50年代の日本の音楽文化を形作った重要な楽曲の一つです。この時代の音楽は、テレビの普及やレコード産業の成長とともに、日本全国の家庭に届けられました。
その後の音楽シーンにも少なからず影響を与えたこの曲は、後続のアーティストたちにとってもインスピレーションの源となっています。昭和・平成の音楽史を辿る時、この曲は必ず言及される名曲として確固たる地位を築いています。