今回ご紹介する1975年(昭和50年)のヒット曲は、かまやつひろしさんの「我が良き友よ」です。
「我が良き友よ」は、1975年(昭和50年)2月5日にかまやつひろしさんが発表したシングルです。作詞・作曲:吉田拓郎さん、編曲:瀬尾一三さんとなっています。
「下駄を鳴らして奴が来る~、腰に手ぬぐいぶらさげて~♪」だよね。吉田拓郎さんの作詞・作曲だったんだね。知らなかったよ~
「我が良き友よ」は、オリコン月間・週間チャート1位獲得するなど大ヒットとなりました。シングルレコードの累計売上は90万枚以上となっています。
アイドルいっぱいの時代にかまやつひろしさんってのが珍しかった印象です。
吉田拓郎さんが作った「我が良き友よ」ですが、出来がいいと前評判も高く、周りの人たちは、吉田拓郎さん自身にレコーディングするよう強くプッシュしたようですよ。ただ、吉田拓郎さんは、飲み仲間でもあったかまやつひろしさんにプレゼントしたいと聞かず、結果、かまやつひろしさんもこの曲を大いに気に入り発売となったみたいです。
吉田拓郎さんにそれだけ言わせるかまやつひろしさんに人としての魅力があったってことなんでしょうね。お酒飲むと本性が出るっていいますから、それを踏まえての友人だったってことで…
かまやつひろしさんは、かつてグループサウンズで大人気だったザ・スパイダースのメンバーだったのですが、同じメンバーだった堺正章さんや井上順さんがテレビで大活躍する中、自分は、何でも屋(マルチタレント)のような扱いをされ日本の歌謡界に絶望していたと言われています。当時、かまやつひろしさんも歌はまともに歌っていなかったそうで、この「我が良き友よ」の発売は、かまやつひろしさんにとっても正念場だったようです。
同じメンバーがテレビで大活躍するのを見るって、嬉しい反面、何とも言えない感情が出るのも仕方がない気はするよ…
「我が良き友よ」ですが、イントロのリードギターは高中正義さんによるものだそうです。また、「下駄を鳴らして」など歌詞に出てくるバンカラ風の大学生は吉田拓郎さんの大学時代の同級生がモデルと言われているそうですよ。
ちなみにバンカラとはバンカラ(蛮殻、蛮カラ)とは、ハイカラに対するアンチテーゼとして明治期に粗野や野蛮を創出したものだそうです。
※画像は、君たちがいて僕がいた様からお借りしました。

正直、バンカラなんて知りもしなかったし、下駄履いて歩く人がいるの?って感じでしたね。
またかまやつひろしさんは、あえて誰も思いつかないような時代にミスマッチ的な曲を書いた吉田拓郎さんの独特な感性や先見性に感心させられたそうです。
確かにそうかもね~
余談ですが、かまやつひろしさんですが、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名なんだそうです。
へ~、そうだったんだ~
1975年(昭和50年)ヒット曲
| 順位 | 曲名 | 歌手名 | 売上枚数 |
|---|---|---|---|
| 1位 | 昭和枯れすゝき | さくらと一郎 | 99.5万 |
| 2位 | シクラメンのかほり | 布施明 | 87.9万 |
| 3位 | 想い出まくら | 小坂恭子 | 79.4万 |
| 4位 | 時の過ぎゆくままに | 沢田研二 | 79.1万 |
| 5位 | 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ | ダウン・タウン・ブギウギ・バンド | 77.7万 |
| 6位 | ロマンス | 岩崎宏美 | 77.1万 |
| 7位 | 22才の別れ | 風 | 70.8万 |
| 8位 | 心のこり | 細川たかし | 70.7万 |
| 9位 | 我が良き友よ | かまやつひろし | 70.1万 |
| 10位 | 冬の色 | 山口百恵 | 52.9万 |
🌟 アーティストと楽曲の魅力
「我が良き友よ(かまやつひろし) 1975年(昭和50年)」を生み出したアーティストは、昭和50年代の音楽シーンを代表する存在として、数多くの名曲を世に送り出してきました。この曲はその中でも特に完成度が高く、アーティストの個性と才能が存分に発揮された一作です。
独特の声質、表現力、音楽への情熱が凝縮されたこの楽曲は、発売から長い時間が経った今でも色あせることなく、多くのファンの心を捉え続けています。日本の音楽文化を語る上で欠かせない一曲と言えるでしょう。