今回ご紹介する1980年(昭和55年)のヒット曲は、雅夢の「愛はかげろう」です。
「愛はかげろう」は、1980年(昭和55年)9月25日に発売された雅夢のデビューシングルです。作詞・作曲ともメンバーの三浦和人さんとなっています。
雅夢の「愛はかげろう」、懐かしいですね。雅夢と書いて「がむ」って呼ぶんですよね。歌い出しはあんまり憶えていないんだけど、サビの「愛はかげろう、つかの間の命、激しいまでに燃やし続けて♪」ってところはめっちゃ憶えてますよ。
雅夢の「愛はかげろう」は、「第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト」で優秀曲賞を受賞しているんですよね。発売は1980年(昭和55年)ですが、翌1981年(昭和56年)に入ってからじわじわと売れ出し、オリコンランキングでは最高3位を獲得、レコード売上61.9万枚を記録するなど大ヒットとなりました。
1980年(昭和55年)の「第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト」のグランプリは、伊丹哲也 & Side By Sideの「街が泣いてた」だったんだよね。正直、どちらの曲も好きなんだよね。
余談ですが、曲を書いたメンバーの三浦和人さんによると「神様に音楽家としてのチャンスをもらえた曲」「サビが出来たとき、ヒットする手応えがあった」とインタビューで答えているんだそうですよ。よく聞く、「曲がおりてきた」って感じなんでしょうかね。
スポーツやってて周りの選手が止まって見えるとかと同じような、ゾーンに入る瞬間が音楽家にもあるんだろうね。
さて、雅夢ですが、三浦和人さん(1958年生まれ兵庫県出身)と中川敏一さん(1957年生まれ三重県出身)が、中京大学在学中に結成したフォークデュオです。残念ながら1984年(昭和59年)に解散しています。
解散してたんだね。「愛はかげろう」が大ヒットしたからもっと続いたかと思ってたよ。ヒットして意外と早い時期に解散しちゃったんだね。残念…
赤の他人が一緒にやる訳ですし、やっぱり色々とあるんじゃないでしょうか。
さて、それでは、雅夢の「愛はかげろう」をどうぞ!
1980年(昭和55年)ヒット曲
| 順位 | 曲名 | 歌手名 | 売上枚数 |
|---|---|---|---|
| 1位 | ダンシング・オールナイト | もんた&ブラザーズ | 156.3万 |
| 2位 | 異邦人 | 久保田早紀 | 140.4万 |
| 3位 | 大都会 | クリスタルキング | 118.1万 |
| 4位 | ランナウェイ | シャネルズ | 97.5万 |
| 5位 | 順子 | 長渕剛 | 94.0万 |
| 6位 | 贈る言葉 | 海援隊 | 93.3万 |
| 7位 | おまえとふたり | 五木ひろし | 84.7万 |
| 8位 | 別れても好きな人 | ロス・インディオス&シルヴィア | 76.9万 |
| 9位 | さよなら | オフコース | 71.7万 |
| 10位 | 哀愁でいと | 田原俊彦 | 70.0万 |
愛はかげろうを振り返る
当時の音楽シーンを彩り、大きな感動を与えました。
音楽の軌跡
その活動は、現在のJ-POPシーンにも通じる革新性がありました。
この曲を聴く
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🏮 日本の音楽文化への影響
「愛はかげろう(雅夢) 1980年(昭和55年)」は単なるヒット曲を超え、昭和60年代の日本の音楽文化を形作った重要な楽曲の一つです。この時代の音楽は、テレビの普及やレコード産業の成長とともに、日本全国の家庭に届けられました。
その後の音楽シーンにも少なからず影響を与えたこの曲は、後続のアーティストたちにとってもインスピレーションの源となっています。昭和・平成の音楽史を辿る時、この曲は必ず言及される名曲として確固たる地位を築いています。