「京都の恋 (Kyoto Doll)」は、ザ・ベンチャーズが日本で発表したシングル曲で、1970年(昭和45年)に渚ゆう子さんがカバーしヒットしました。
いや~、懐かしいなぁ~
渚ゆう子さんのミニライブみたいなのを見に行った記憶があるよ!
えっ?どこで?
近くのデパートの屋上に渚ゆう子さんが来たの覚えてない?
ほら、例の〇〇デパート!
あっ!今はもう無くなっているあの〇〇デパートの屋上ね!
ヨーヨー大会なんかもやってたよね。
俺は、スプライトのヨーヨーが好きだったよW
※画像は、FRESHTRINKETS.JPさんからお借りしました。

うわ~、懐かしい!俺は右下のコーラを使ってたよ~!
さて、話を「京都の恋 (Kyoto Doll)」に戻すと、渚ゆう子さんがカバーしたバージョンは、作詞:林春生さん、作曲:ザ・ベンチャーズ(ドン・ウィルソン、ジョン・ダリル、ジェリー・マギー、メル・テイラー)となっています。
オリジナルの曲は、ベンチャーズなんだね。当時はそんなこと知らなかったよ。
元々は、1970年(昭和45年)開催の日本万国博覧会を記念して製作されたザ・ベンチャーズの楽曲で、日本では1970年(昭和45年)2月25日発売されました。
日本での英語題は「KYOTO DOLL」、米題は「EXPO’70」となっています。
1970年(昭和45年)の大阪万博!めっちゃ懐かしい!
1970年(昭和45年)5月25日に渚ゆう子さんがカバーしシングルとして発売、オリコンのシングルチャートで8週連続1位を獲得、渚ゆう子さん自身初の100万枚を超える最大のヒット曲となりました。
めちゃくちゃ売れてますね~!
当初の売れ行きは低調だったそうですが、京都・大阪を中心に1970年9月頃から火がつき始め、1970年12月中旬までに120万枚(公称)を売り上げ、日本有線放送連盟の「シルバー賞」を受賞しました。
「京都の恋」だけあって、やっぱ京都あたりから人気が出たのかな?
ちなみに、渚 ゆう子さんは、1945年生まれ、大阪市浪速区の出身です。
この「京都の恋」で大ブレイクし一躍人気歌手となりました。
当時は、た~くさんテレビにも出てたよね。
この当時、25歳だなんて、めっちゃお姉さん!
1970年 邦楽ヒット曲 ランキング
| 順位 | 曲名 | 歌手名 | 売上枚数 |
|---|---|---|---|
| 1位 | 黒ネコのタンゴ | 皆川おさむ | 141.5万 |
| 2位 | ドリフのズンドコ節 | ザ・ドリフターズ | 78.3万 |
| 3位 | 圭子の夢は夜ひらく | 藤圭子 | 76.5万 |
| 4位 | 女のブルース | 藤圭子 | 74.5万 |
| 5位 | 逢わずに愛して | 内山田洋とクールファイブ | 69.9万 |
| 6位 | 手紙 | 由紀さおり | 65.6万 |
| 7位 | 愛は傷つきやすく | ヒデとロザンナ | 65.5万 |
| 8位 | 今日でお別れ | 菅原洋一 | 60.6万 |
| 9位 | ヴィーナス | ザ・ショッキング・ブルー | 55.2万 |
| 10位 | 京都の恋 | 渚 ゆう子 | 54.0万 |
京都の恋を振り返る
当時の音楽シーンを彩り、大きな感動を与えました。
音楽の軌跡
その活動は、現在のJ-POPシーンにも通じる革新性がありました。
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🏮 日本の音楽文化への影響
「京都の恋(渚ゆう子) 1970年(昭和45年)」は単なるヒット曲を超え、昭和50年代の日本の音楽文化を形作った重要な楽曲の一つです。この時代の音楽は、テレビの普及やレコード産業の成長とともに、日本全国の家庭に届けられました。
その後の音楽シーンにも少なからず影響を与えたこの曲は、後続のアーティストたちにとってもインスピレーションの源となっています。昭和・平成の音楽史を辿る時、この曲は必ず言及される名曲として確固たる地位を築いています。